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shigshig

気ままに使うブログです。

涙雨に傘(リオヌヴィSS)

リオセスリの過去を盛大に捏造しています。



最近傘を差してもあの人は残念そうにしなくなった。

初めて俺があの人に傘を差した時、睨めつけられこそしなかったものの、隠すようにため息を小さく吐いたものだから、あぁ今自分は余計なことをしたんだな、と思ったものだ。

以来彼に傘を差すことは戸惑う行為となってしまったのだが、それでも俺は差すことを止めなかった。二人きりの時は俺しか見ていないので敢えて差さないようにしたが、街中を歩く時はそうもいかない。街中では人の目がある。いくらフォンテーヌ人が雨に慣れているとはいえ、国の最高審判官と並んで歩くのに自分だけ傘を差しているなんてあまりにも罰当たりすぎる。

ゴシップが三度の飯よりも美味しい国民性だ。そんなところを写真で抑えられでもしたらあっという間に国中に広まることだろう。やれ無礼な男だとか、審判官様と隣に立つべきではないとかなんとか。例え俺がメロピデ要塞の公爵だと知らずとも、そんなことは民草には関係の無い話である。



ひとつの傘を二人で共有することを稲妻では"相合傘"と言うらしいが、俺は今俗に言うその相合傘という状態でこの国の最高審判官――ヌヴィレットさんと街中を歩いている。道に佇む民たちはヌヴィレットさんを見かけると色めき立って、一目見れた喜びを表している。と同時に「傘を差しているあのお方は誰?」と言ってくる。

俺が生まれてくる前は一体どうしていたのだろうと思うが、きっといつものように差さずに歩いていたのだろう。民が「よかったらどうぞ」と差し出してくる傘を、「いや、結構だ。ありがとう」と言って流しながら濡れたまま道をゆくのだ。恐らく本人は至って真面目なのだろうが、よくそれで人間社会に打ち解けているものだなと思わざるを得ない。

話が逸れたが、最近ヌヴィレットさんが傘を差しても残念そうにしなくなったのだ。むしろ少し嬉しそうにはにかんで見せたりする。その表情を見る度に、そんな顔も出来たのだなとむず痒くなるばかりであるが、こうなった出来事にはひとつ心当たりがある。

それはとある孤児院の子供が誘拐され暴虐の限りを尽くされ、息絶えた状態で発見された事件があった裁判の後だった。悪虐を行った犯人を厳重に取り締まり、メロピデ要塞へと送り込んだ後、彼はふらりとその場から姿を消した。そしてまもなく雨が降ってきたので、俺は傘を持ってヌヴィレットさんを探しに行ったのだ。そしてややも歩かずヌヴィレットさんはルキナの泉にいた。やや俯いて、雨の波紋の広がる噴水の水面を眺めて、彼の頬を雨水が伝っていく。あれはもしかしたら涙だったのかもしれなかった。

俺はそっとしておくべきかとも考えたが、しかしやはり手にした傘を差し出すことを止められなかった。

傘を差した俺に気付いたヌヴィレットさんはやや驚いた顔をしていた。それに俺は微笑みだけを返す。紳士として恥ずべきことだが、その時彼になんと声を掛けるべきか分からなかったのだ。噴水と雨音だけが俺たちの周りを包む。幾ばくかの沈黙の後、ヌヴィレットさんはやや震える口を開いた。

「…残念なことだが、フォンテーヌで子供の事件というのはそう珍しいわけではない。確かに経済の安定、予言の消失、様々な要因で年々良くなっている傾向にはある。だが…それでもまったく無くなることはない」

俺は黙ってヌヴィレットさんの言葉に耳を傾ける。

「あの少年は本当に…本当に痛ましい最後を迎えてしまった。犯人が捕まったことは彼へのせめてもの手向けだろう。…法に則って裁くことしか私には出来ないが…」

はくりと、彼は続きを言おうとして、だが結局諦めるようにゆっくりと口を閉ざした。

それを見て俺は、この人からそんな言葉が出た事実に純粋に驚いた。というより、この事件がこの人にそんな言葉を出させてしまうほどの衝撃を与えたのだと動揺した。

ヌヴィレットさんが言おうとしたことはきっと、彼の立場では決してしてはならないことだ。そもそも言葉にすらしてはならないことだ。だから口を噤んだのだ。 

そんな彼の本音とも言える部分を、まさかただの人である俺に打ち明けてくれるとは俺は思いもしなかった。ドッと心臓が騒がしくなり、緊張が走る。この人を慰めたいと思うと同時に、傷付けないようにとあらゆる言葉を探した。

「…それがあんたの勤めだ。悪を悪として正式に、正しく裁く。それはこの国ではあんたにしか出来ないことだ。それ以上のことなんて、きっとあの少年も求めちゃいないさ」

声が震えないよう、なるべく優しく伝えられるよう穏やかにそう伝えた。ヌヴィレットさんが俺の言葉を聞いて振り向く。その瞳は心做しか涙で濡れているように見えた。雨の中でキラキラと光るアメジストのドラゴンアイは、どんな宝石よりも美しかった。

ヌヴィレットさんは暫くこちらを見つめた後、静かに瞼を閉じて、詰めた息を小さく吐き出すと微かに笑った。

「…君がそう言ってくれると、不思議と本当にそうなのだろうと思える。他でもない君が言うからこそ、そう感じるのかもしれない」

そう言うヌヴィレットさんはきっと、俺がまだ未熟な子供だった頃――俺が初めて歌劇場の上に立った日のことを思い出しているのだろうと感じた。

忘れようとしても忘れられないあの日。俺は、自分の正義のために罪を犯すことを選択した。

貧しい子供たちを暖かい家に迎えてくれる優しい孤児院。親に捨てられ孤児だった俺は、その孤児院の夫婦に拾われた。初めは何の疑問にも思わなかった。しかしその実態は子供たちを高値で貴族に売り捌き、そうして得た金で己の私腹を肥やす為だけに使う悪辣な夫婦だった。その家に迎えられた子供たちは高く売るために身綺麗にされ、厳しい躾をされ、そして貴族の家に送り出される日に孤児院を卒業し、売られた家へと旅立っていくのだ。

買われて行った子供が優しく暖かい家に迎えられるのならそれで構わなかったし、ここよりもいい暮らしが出来ていることを願っていた。しかし残酷にも現実はそうではなかったのだ。

俺はある日知ってしまった。卒業した兄や姉たちの末路を。大人からの酷い暴力に晒され命を落とした兄。性暴力の末に心を壊してしまった姉。そしていずれ来る自分や弟、妹たちに訪れる家からの卒業。

俺は真実を知ったその日から密かに養父母へ己が正義の鉄槌を下す為の計画を練り上げた。自分のような子供でも大人を確実に殺せるような武器を手に入れる。その為に黙って家を抜け出して、あちこちでバイトし金を稼いだ。それで鉄製のナックルグローブを作り、確実に相手を仕留められるよう釘も仕込んだ。そして完成した武器を装備して、家を破壊しに向かったのだ。

その選択をしたことに今も後悔は無い。それは一重に、俺の犯した罪を正しく罰する人がいてくれたからだ。もしあの日、あの裁判で、俺の罪が無かったことにされ冤罪の印を押されていたならば、俺はきっと自らを罰するために迷わず命を絶っていたことだろう。まだ未熟であったとはいえ、それくらいの事は当然の代償として払う覚悟で俺はあの法廷の場に立ったのだ。

立場や状況は違えど、同じ孤児院育ちの子供。一歩間違えれば俺も此度の事件の少年のようになっていた可能性もあった。俺はただその点において少し運に恵まれていたというだけにすぎない。

そんな俺と少年をヌヴィレットさんは重ねているのだろう。彼は自分を冷酷な人だと評価しているようだが、俺には到底そうは見えない。ただひたすら不器用なだけだと俺は理解している。この世の中、己の利益しか考えず他人が傷つくことも厭わない人間が蔓延る中で、常に民草の安寧を願って、あまつさえ国の動力源としてその身を砕いている者が優しいと言われずして何を優しさと呼べばいいのか、俺には分からない。

ヌヴィレットさんは俺にとって唯一のひとだ。幼き日に自分を、やれ正当防衛だとか、彼も被害者なのだ、と綺麗事で俺の罪を流さず、厳粛な天秤を以ってして俺を裁いてくれた唯一のひとだ。あの日からヌヴィレットさんは俺の光であり、指針であり、希望であった。

そんな俺はどうしようもないことに、また性懲りも無く罪を抱えているのだ。己の唯一である存在の彼に、敬愛する彼に、恋という劣情を。

「…リオセスリ殿?」

言葉を返さない俺を訝しげに思ったのだろう、ヌヴィレットさんがこちらの瞳を覗き込んでくる。綺麗なアメジストにまたも吸い込まれそうになったが、俺は慌てて誤魔化すように咳払いをした。

「すまないヌヴィレットさん。俺も少し疲れてたみたいだ」

もちろん嘘だったが、適当に誤魔化されてくれたらそれでよかった。

「…それはいけない。疲れているのにわざわざ迎えに来てくれて感謝する。中に入ろうか」

ヌヴィレットさんがチラリと傘を見上げた後そう言って踵を返し、歌劇場へと向かった。俺はヌヴィレットさんが濡れないように隣で傘を差しながら歩く。

「ああ、そういやこの間新しく手に入った紅茶を持ってきたんだ。せっかくだし一緒に飲まないかい?」

「ああ、それは…ありがたいな。ぜひ頂こう」

噴水から歌劇場までの短い道のり。その時ふと俺はヌヴィレットさんの雰囲気がいつもより柔らかく、傘を拒んでいないことに気付いた。それはあまりに些細な変化で、普通であれば気の所為だろうと流してしまいそうなほどのことだった。明確にどこかが変わったわけではない。ただなんとなく、拒まれていないと感じただけだった。

思えば、ヌヴィレットさんが俺からの傘を拒まなくなったのはその日がきっかけだったと思うのだ。彼の中でどんな心境の変化が起こったのかはわからない。拒むのを諦めたのかとも考えたが、どうもそんな感じではない気がする。

何故拒まなくなったのかは結局のところ本人に聞かねば真相などは分かりはしないのだろう。しかしそんなことはともかくとして、それは俺にとってささやかではあるが非常に嬉しい事柄であることに変わりはない。

雨の日に大切な人に傘を差すことを許してくれる。その事実が、その距離を許されることが何より嬉しいことなのだから。

「ヌヴィレットさん」

歌劇場の大きな扉から出てきた国の要を傘を差して待ちぶせる。もちろん傘はひとつ。今日も小雨の降るフォンテーヌ。短い人の人生の中で少しだけ華をもらおうとする浅ましい行為。それを、今日もどうか拒まないでくれと祈るのだ。

「リオセスリ殿、こんな所でどうした?仕事はいいのか?」

「ああ、今日やらないといけない分は終わらせた。今日は午後にあんたが法廷に立つって聞いたからな。終わったら気晴らしに一緒に街を散歩しようと思って」

だめかい?なんて、かわいい乙女でもあるまいに段差で彼の方が高い位置にいることを利用して上目遣いで強請る。これもずるいという自覚はあるのだが、この人は基本頼まれたら断れないひとなのだ。俺は卑しくもそこに付け入っている。

ヌヴィレットさんは顎に指を当てて少し思案した後、わかった、と言って俺の傘の中に入ってきた。そしてふわりと、目を細めるようにして微笑んで、最近気付いたのだが、と俺に言った。

「君と歩くと見慣れたフォンテーヌもいつもと違って見える。この街は…この国は、こんなにも色鮮やかだっただろうか、と感心するばかりなのだ。君という存在は私が思っている以上に、私にとって特別なのかもしれない」

その言葉を聞いた瞬間、俺は爆撃でも食らわされたのかと思うほどの衝撃を受けた。スマートな返答をしようと試みるのに、凄まじく照れてしまって顔が真っ赤になるのを止められない。俺はそんな恥ずかしい顔を見られたくなくて、傘を持っていない方の手で顔を覆って全力で逸らした。

「リオセスリ殿?」

「あんた……それは反則だろ…」

「…?」

彼の特別という言葉はとても嬉しい。公爵という爵位を与えられたその日から、彼にとって俺は有象無象の一人でなく、目印のあるひとつの記号として認識されているだろうとは思っていた。だが、こうして目の前で面と向かって言葉にされると本当にそうなのだと実感してしまって、今まで抑えてきた感情が溢れ出してしまいそうだった。

高望みの恋だと分かっている。種族も違う。故に生きる時間も違う。何もかも違う生き物なのに。

「リオセスリ殿、顔が…。具合でも悪いのか?」

ヌヴィレットさんの手が俺の頬に触れる。まるで壊さないようにとでもいうような優しい触れ方だった。

ああ、もう、諦めてしまおう。この関係を維持したいが為に臆病風に吹かれていたが、それももう終わらせてしまおう。言ってヌヴィレットさんを不快にさせてしまったなら、その後のことはその後考えればいい。

俺は覚悟を決めて、頬を撫でるヌヴィレットさんの手を取った。

「ヌヴィレットさん。聞いてほしいことがある」

「…?なんだ?」

きょとんと見つめてくるドラゴンアイを瞳に捉える。雨がパタパタと傘を叩く音が二人を包む。俺は雨に紛れぬよう、はっきりと言葉にした。

「あんたが好きだ」

 

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